FDQA

京都FD開発推進センターでは、FDに関する基本的なご質問に回答するとともに、各大学等が抱える個別のご質問等を把握し、可能な限りその質問等にお答えできるようFDQAを開設することにしました。

こちらの問い合わせ画面から、お問合せ件名を「FDQA」として送信してください。

皆様よりお寄せいただきましたご質問等につきましては、次の通り取り扱いをさせていただきますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。

     
  1. 本センターによるFD事業との関連が明確でないと判断したご質問・提言等に関しては、回答を控えさせていただくことがございます。あらかじめご了承ください。
  2. ご質問・提言に関しましては、本センターによって内容を確認し、公開にふさわしいと判断したものにつきまして、質問者を匿名にした上で、Q&Aをweb上で公開させていただきます。
  3. 本センターによる内容確認を経てQ&Aを公開しますので、web上での公開には時間がかかる場合があります。
  4. 原則として、「大学コンソーシアム京都」加盟の大学・短期大学関係者からの質問等を優先させていただきます。また、ご質問・提言が多数の場合、すべてにお答えできない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

※このFDQAは、2007年度から「大学コンソーシアム京都」京都高等教育研究センターがweb掲示板を開設し、試行的にご質問等を受け付けてきたものを、2009年度より本センターが受け継いで運営しています。

※質問内容の詳細・回答を表示するには、それぞれのタイトルをクリックして下さい。

  0007  FDの専門的人材と組織的推進体制について(2008-09-11)

[ 質問・提言 ]

1.FDの専門的人材の役割について、おうかがいします。FDの専門的人材の活動としては、京都高等教育研究センター主催の平成19年度第1回FDセミナーにおいて、愛媛大学の佐藤浩章先生が報告してくださったコンサルティングなどが最初に頭に浮かびますが、その他にはどのような業務があり得るのでしょうか。海外先進事例も含めて、参考になりそうなものがあれば教えてください。

2.FDの組織的推進体制について、おうかがいします。平成20年度第1回FDセミナーにおいて、京都大学の松下佳代先生から京都大学高等教育研究開発推進センターの事例を紹介していただき、大変興味深く拝聴しました。現在の大学において、FD担当組織は、事務部署、委員会、学長直属特別組織、研究所、センターなど設置形態や名称が様々なようですが、FDの取組を円滑に進めるために組織を構築するときに、特に留意すべき点を教えてください。また、研究所とセンターの明確な相違はあるのでしょうか。





[ 回答 ]

FDの専門的人材と組織的推進体制について

1.平成20年3月に中央教育審議会大学分科会によって公表された「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」の中で、「ファカルティ・ディベロッパー」などの「FDの専門的人材」の配置・養成が国の支援対象となることが明記されて、大きな注目を集めています。大学コンソーシアム京都のシンクタンクである京都高等教育研究センターにおきましても、ファカルティ・ディベロッパーのあり方について、海外先進事例なども参考にしながら、本格的な研究に着手したところですので、意識の高いご質問に大きな刺激を受けております。どうも有難うございました。
 本センターにおきましては、ファカルティ・ディベロッパーの業務として、ご指摘いただいたコンサルティングに加えて、FD汎用研修プログラムの開発と提供、大学コンソーシアム京都加盟大学のFD活動のモニタリングと大学間交流促進、FDおよびSD関連情報の蓄積と発信、本FDQA管理運営などを中心に検討を進めております。本センターの目的は、大学コンソーシアム京都加盟大学を中心にした大学間連携事業を推進することですので、原則として、ファカルティ・ディベロッパーの役割をFDネットワークの強化方策の企画運営担当者としていることをご理解ください。
 FDの専門的人材を各大学に配置する際には、上記の業務に加えて、各大学の特色とニーズに応じたFD学内研修プログラムの開発と実施、FD関連講習あるいは講演会等の企画運営、ベスト・ティーチャー選定等の教育支援制度の企画と運営、ティーチング・ティップス(授業改善ヒント)集の作成、FD学内広報誌の編集やFD関連ホームページ管理運営、教育業績評価制度に向けたティーチング・ポートフォリオの開発およびベンチマーク策定、TAマニュアルの作成、大学院生を対象にしたプレFDプログラムの開発と実施なども考えられるでしょう。
ただし、FDの専門的人材の業務内容および資格や権限につきましては、国内外の先進事例などを見ましても、雇用形態や所属組織によって大きく変わります。上記中央教育審議会大学分科会の審議のまとめにおきましては、ファカルティ・ディベロッパーの役割を「新たな職員業務」として挙げておりますので、原則として、一般職員としての配置を想定しているようですが、各大学の事情が許すならば、専任教員や研究員等としての配置も可能でしょう。FDの専門的人材の業務内容、資格、権限、雇用形態のあり方に関しては、議論がまさに始まった段階ですので、日本の高等教育全体の今後の検討課題であると認識しています。
 なお、蛇足ながら、平成20年度「戦略的大学連携支援事業」におきまして、佛教大学を代表校とする大学コンソーシアム京都加盟大学17校が共同申請しました「地域内大学連携によるFDの包括研究と共通プログラム開発・組織的運用システムの確立」が採択されました。上記取組におきましても、ファカルティ・ディベロッパーの活用を積極的に推進することになっています。取組が軌道に乗った暁には、本センターが主催するFDセミナーにおいて、連携校から積極的に成果報告をしていただくことを予定しておりますので、今後ともFDセミナーにご注目いただければ幸いです。


2.上の問題にも関連する重要な点について、率直なご質問をいただきお礼申し上げます。FDの組織的推進体制に関しましては、各大学の理念、歴史、規模、人事政策、財政状況等を慎重に考慮しながら、柔軟に考えることが現実的でしょう。最も大事な点は、名称や組織形態ではなく、各大学の構成員全員が教育力の向上に取り組むことができる実質的な体制を整備することです。FDの目的は、大学教育の充実にあり、組織的推進体制構築自体は、その手段にすぎないことを忘れないようにしましょう。
 理想を言えば、FDを含む高等教育全般について専門的な知識を有する複数の専任教員と、FDおよび学内事情について造詣の深い複数の専任職員が配置されて、研究と実践を有機的に統合しながら、学長のリーダーシップのもと、学部等の教育組織と密接に連携しながら、教育改革を全学的に推進する権限を与えられた常設の多機能的な組織が望ましいことは言うまでもありません。あえて教職員それぞれの複数配置を理想とした理由は、単独配置ですと、ノウハウの継承が不安定になることが多いからです。しかし、各大学には固有の制約があるとともに、人材育成が遅れているという現状もありますので、このような理想的な組織を完全に実現している大学は、実際には皆無に近いのではないかと判断しています。最初から理想的組織に過度にこだわらず、各大学がそれぞれのニーズに合わせて、達成可能な目標を定めて、実質的な成果を期待できる適切な組織的推進体制を構築して、実績を積み上げながら、まず、学内認知度を高めていく努力を続けることが賢明でしょう。
 本センターの調査結果などを踏まえて、以下、実践的なコメントを補足しておきますので、あくまで一つの目安として、ご参考にしていただければ幸いです。まず、FD関連の全学的組織を有する大学においては、FDが比較的順調に推進される傾向が確認できます。全学的支援体制を整備せず、FDを各学部・学科等の主体的取組に委ねておくと、特定の教職員の力量と熱意に依存する結果になり、取組の継続性が不安定になるようです。また、先の回答6にも書きましたように、教育現場に直接的に関わるFDに関して、職員だけで事務的に推進することには、大きな限界がありますので、まず、教員主導の教職員連携組織という原則を組織的に確認しましょう。ただし、教員FD担当者は、年度ごとに変わることが多いので、FD方策の継続性を担保するために、たとえ小規模でも、FDを業務内容の一つとして公的に規定した全学的組織を設置して、FD担当の専任職員を恒常的に配置することが効果的でしょう。専任職員が配置された公的組織を設置していると、FDの窓口が明確になり、学内外の情報収集や広報活動を継続的に実施することができるので、FD活動の安定した推進が可能になるからです。FDを組織的に推進するための必要最低限の人員配置は、FD担当兼任教員とFD担当専任教員ということになるでしょう。このFD担当教職員のユニットをどの程度まで組織的に拡大充実するかは、各大学の総合的判断に委ねられることになります。学長直属が有効かどうかは、大学によって異なるでしょうが、執行部からのトップダウンのポリシーと、教育現場からのボトムアップのニーズの調整役をうまく果たせれば、組織形態や名称にかかわらず、そのFD組織の活動は、順調に軌道に乗るはずです。
ちなみに、研究所とセンターに関しては、大学設置基準上の明確な法制的相違はないと理解しています。ただし、FDの円滑な組織的推進のためには、上に述べましたように、多機能性が求められますので、新たにFD関連全学的組織を設置した大学においては、研究を最優先業務にすることを含意する研究所という名称よりも、総合的業務を示唆するセンターという名称が好まれることが多いようです。
理想に近いFD組織的推進体制を構築している大学においても、多機能化するFD組織の業務すべてに関して、単独で包括的に取り組むことが困難な時代になりました。まして、十分な人材と予算をFD組織に投入できない大学においては、大学間連携が不可欠でしょう。大学コンソーシアム京都においては、このような現状認識を踏まえて、FDのノウハウを大学間で共有し、効果的に共同利用するための大学間FD組織的推進体制整備の必要性を痛感し、加盟大学を中心にFDネットワークのあり方を追求しているところです。今後とも温かいご協力をいただければ幸いです。


  0006  FDへの大学職員の関わり方について(2008-09-09)

[ 質問・提言 ]

大学職員として、FD委員会設置準備等に関わっていますが、教員から賛同と協力を得られず、作業が難航しています。大学職員は、FDにどのような関わり方ができるでしょうか。また、どのような関わり方が望ましいのでしょうか。






[ 回答 ]

FDへの大学職員の関わり方について

平成20年3月に中央教育審議会大学分科会によって公表された「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」の中でも、FDの組織的推進のためには、職員の職能開発(スタッフ・ディベロップメント)が重要であることが明記してあり、京都高等教育研究センターにおきましても、FDとSDの連携方策の検討に本格的に力を入れ始めているところですので、時宜を得たご質問をいただいて大変喜んでいます。
職員とFDの関わり方については、各大学の理念やFD進展状況によっても大きく左右されますので、一般的な回答は不可能であることをあらかじめご承知ください。ご質問を拝見すると、関連委員会等が未設置ということですので、FDの組織的推進に着手なさり始めた大学を想定して、職員の観点から実践的にお答えさせていただきます。
今後のFDにとって、教員と職員の協働が不可欠であることは間違いないのですが、教育現場に直接的に関わるFDを組織的に推進するためには、少なくとも初期の段階では、教育現場に直接的に関わる教員主導の原則を確認することが大事だと思います。当事者が関心を持たない方策は、決して成果を生み出しません。職員主導になってしまった大学においては、残念ながら、FDが沈滞してしまうことがよくあります。
その原因にはいくつかのパターンがあるようです。最もよくあるパターンとして、勉強熱心な職員の方は、意識の低い教員を発奮させようとして、学会やマスコミなどで話題になった国内外の突出した事例などをモデルとして提示なさりがちですが、モデルがあまりに革新的なため、現状とかけ離れすぎていて、かえって教員の拒絶反応と無力感を引き起こしてしまう場合が多いようです。一部の専門家やジャーナリストが注目する事例に普遍性があるとはかぎりませんし、広く評価されている先進事例も、長い年月をかけて、試行錯誤を伴いながら、成果を次第に蓄積してきたことを忘れないようにしましょう。具体的な方策としては、たとえば、信頼できる教員と事前によく相談しながら、審議事項が少なそうな教授会後に、現代大学生文化論のような親しみやすいトピックに関する短時間の気楽な情報交換の場を企画するなど、FD全般に対する教員の拒絶反応を取り除く予備的方策を実施することが有効かもしれません。
また、熱心な職員の方は、事を急ぐあまり、中教審答申などの権威的論拠を盾にして、教員を短時間で強引に説得しようとなさることがありますが、職員による教員管理であるかのような誤解を招いて、逆効果になることも多いようです。正論で説得することよりも、実感をとおして納得してもらうことを考えましょう。FDの基本的な目標は、それぞれの大学の教育活動を充実させることであり、教育活動が充実すれば、教員の日々の授業も楽しくなるはずです。このことを教員に実感してもらうために、教員のニーズを正確に把握して、たとえば、TA制度などの授業支援体制の整備の原案を作成して、教員の負担を軽減する方策から検討作業をスタートすることもひとつの方策かもしれません。FDのおかげで自分の授業が楽しくなったという実感を持つ教員が徐々に増えてくれば、教員の中からFDのリーダーが自ずと登場して、FDの組織的推進が軌道に乗り始めるでしょう。FDにおいては、教員のリーダーが生まれる環境を整備して、そのリーダーを支援することも職員の重要な役割です。
学生、教員、職員という大学教育に関わる当事者同士のコミュニケーションを向上させることがFDなのかもしれません。従来の大学教育では、当事者が意見交換をする機会が意外なほど少なかったように思います。これまでの日本のFDにおいて最も大きな注目を集めた授業評価アンケートは、学生と教員のコミュニケーションを向上させるための第一歩でした。教員と職員のコミュニケーションを向上させるための努力も今後のFDには求められています。FDに反対なさる教員がおられれば、失望したり憤慨したりする前に、なぜ反対なさるのかを相手の立場に立ってよく考えてみてください。そして、感情的にならずに話し合ってください。FDとSDの連携は、そこから始まります。

  0005  厳正な成績評価に変えていくための方法と教員の意識改革の方法(2007-12-12)

[ 質問・提言 ]

1.厳正な成績評価に変えていくための方法と教員の意識改革の方法を教えていただきたい。
2.厳正な成績評価により、留年生や退学者を増大させないための対策について教えていただきたい




[ 回答 ]

厳正な成績評価に変えていくための方法と教員の意識改革の方法等について

[回答]
今、大学教育において大きな話題になっている成績評価の厳格化をめぐって、時宜を得たご質問をいただき有難うございました。成績評価論自体は、日本の大学教育においてはまだ議論が十分に成熟しておらず、厳密に言えば、FDが解決すべき問題でもありませんが、たしかに密接な関係もありますので、FDから見た実践的課題の一つとして、従来の大学コンソーシアム京都のFD関連企画等で話題になった点を中心に紹介して、回答に代えさせていただこうと思います。各大学における今後の本格的な議論のためのささやかなヒントとなれば幸いです。
2008年4月から施行される大学設置基準には、第25条の2の2に「大学は、学修の成果に係る評価及び卒業の認定に当たっては、客観性及び厳格性を確保するため、学生に対してその基準をあらかじめ明示するとともに、当該基準にしたがって適切に行うものとする」という文言が追加されることになります。これが成績評価の厳格化をめぐる議論を活性化させる引き金となったと言えるでしょう。
最初の取組は、平凡ですが、成績評価について、できるかぎり客観的な資料を準備して、公的な意見交換を始めることによって、正しい理解を組織的に深めていくことでしょう。近年、シラバスをはじめとする教育内容および方法については、かなり公開性が高まり、公的な議論の対象となることが多くなりましたが、成績評価に関しては、依然としてブラックボックス化されたままで、大半の大学においては、客観的な討議材料自体がほとんどない状態ではないかと思います。客観的な討議材料がない状態で、意見交換を始めても、感情論や抽象論に終始することが多くなってしまいます。このような現状を打破するために、FDの進展を促進するための一つの補助的方策として、科目ごとの成績評価分布と平均点を公開し始めている大学もあります。いきなり全科目の成績評価分布と平均点を公開することに抵抗があるならば、とりあえず内部討議資料として、特定の科目群の成績評価の実態を調べながら、各科目の特性に合わせた成績モデルなどをFDの観点から考えてみるのもよいでしょう。教員の意識改革は、正確な現状把握と課題認識から始まります。
厳格な成績評価を実現する方法としては、GPAの導入が話題になることが多いようです。ただし、GPAは数ある成績評価表示方法の一つにすぎませんので、GPAの導入自体が成績評価の厳格化の決定打であるかのような議論は慎むべきでしょう。また、GPAと言うと、マスコミが一部の大学の特殊な事例を大きく取り上げたため、退学勧告制度を連想する向きもありますが、退学勧告制度はディプロマ・ポリシーの明確化のための数ある方策の一つにすぎず、成績評価制度自体とは本質的には関係ありませんので、問題を冷静に整理して意見交換を始めてください。GPAの導入をきっかけにして、成績評価に関する理解を深めることが大事な点です。
留年生や退学者の増大を阻止するためには、追試験制度の整備などが真っ先に頭に浮かびますが、追試験制度というものは、基本的には、正当な理由で定期試験等を受験できなかった学生を救済するための特別措置ですので、留年生や退学者の増大に対する抜本的な解決策と考えるべきではないでしょう。たとえば、多数の学生が不合格になる必修科目があるとすれば、当該科目の教育方法や教育目標の改善を組織的に検討することがFDの役目です。他方、学生に対して、できるだけ早い段階において、当該大学・学部・学科が学生に求める学習方法や学習目的を明確に伝える努力も必要です。そこで、FDと密接に関連する領域として、初年次教育が重要視されているのです。アメリカの大学では、初年次教育がリテンション(在学生定着)教育と呼ばれることもあるのは、上記の理由によるものです。留年生や退学者の問題は、当該大学の教育理念や経営方針にも深く関わりますので、成績評価という観点だけで解決できる問題ではないことを最初に明確に認識した上で、FDを包含する総合的な対策を考えてください。
厳格な成績評価と言うと、厳しい点数をつけることと短絡的に考える方が少なくなく、「楽勝科目」撲滅方策と同一視されて、議論がきわめて否定的になる傾向も見受けられますが、優秀な学習成果を挙げた学生には正当に高い評価をつけることも、厳格な成績評価であることを忘れてはなりません。大学設置基準にある「客観性及び厳格性」という言葉は、「厳しい」点数をつけることを求めているのではなく、明示された「当該基準」にしたがって「適切に」成績をつけることを奨励するものであることを再確認してください。高い学習成果を示した学生には高い成績を与え、低い学習成果しか示せなかった学生には低い成績を与えるという当たり前のことを職業的な自覚をもって組織的に行うことが強く求められているのです。
成績評価方法には、大別して、相対評価、絶対評価、個人内評価の3種類があります。法科大学院設置がブームになった頃、司法試験受験資格との関連で、相対評価導入が活発に議論されたところから、厳格な成績評価とは相対評価を意味するという誤解も一部にはあるようですが、特定科目の成績評価方法の適切性は、あくまで当該科目の教育目的によって決定されることを確認しましょう。たとえば、プレースメント科目のように、学生のランキングを行うことを目的とする科目の場合には、相対評価が適切ですが、導入教育科目や基礎情報科目のように、受講学生が一定の学習内容を習得すること自体を目的とする科目の場合には、絶対評価が適切で、極論を言うと、成績評価基準が適切であることが組織的に確認されていれば、全員の成績評価がAあるいはFであってもかまいません。また、学生個人の成長を評価基準とする個人内評価も、とりわけ対面教育においてはとても重要です。ゼミや卒業論文などの科目では、意識しておられるかどうかは別として、多くの教員が個人内評価を多かれ少なかれ取り入れて、教育効果を挙げておられるものと思います。ただし、個人内評価を濫用すると、成績評価基準の客観性が希薄になりがちですので、担当者の主観的判断だけによって成績が決定されることがないように、授業設計・運営等に慎重な工夫を加えることが必須になります。
FDの基本は、目新しい方策を唐突に行うことではなく、個々の教員の日頃の教育実践を組織的かつ恒常的に点検評価することによって、優れた教育実践を方法論化して、教育効果を向上させることです。成績評価に関する基礎知識は、教育効果を挙げることを職業的責務の一つとする大学教員の能力の必須構成要素です。大学教員の職能開発という観点から、それぞれの大学にふさわしい「厳格な成績評価」の在り方を粘り強く考えてみてください。実り豊かな成果を期待しています。
  0004  FD義務化で何がどう変わるのか。今、何をなすべきか。(2007-12-02)

[ 質問・提言 ]

FDの義務化によって何がどう変わるのか。
今、何をなすべきかについて知りたいと思います。
よろしくお願いいたします。




[ 回答 ]

FD義務化で何がどう変わるのか。今、何をなすべきか。

 先回、別の方からいただいたご質問に続いて、「FDの義務化」に関する率直なお問い合わせをいただき有難うございました。多くの大学の中で、「FDの義務化」に対する関心が強くなっていることを実感できて、FDの動向に注目してきた私たちも、あらためて大いに刺激を受けています。先回の方のご質問は、包括的な問題提起であったため、一般論的にお答えしましたので、「今、何をなすべきか」に関心を寄せておられる今回のお問い合わせには、大学コンソーシアム京都のFD関連企画で話題になった方策を中心に、できるだけ具体的にお答えしてみようと思います。ただし、方策の妥当性に関しては、大学・短大の教育理念や規模などによって大きく異なりますので、あくまで紙面が許す範囲での順不同の事例紹介とお含み置きください。
 「FDの義務化」においては、FDの組織性が問われていますので、委員会やセンターなどのFD関連組織を恒常的に設置することが一つの定石でしょう。大規模大学や大学院を有する大学の場合には、全学組織のもと、各学部・研究科ごとの委員会も常設すれば理想的です。FD担当窓口が明確になれば、学内外からの関連情報も確実に届き、組織的な対応が可能になりますので、費用対効果など効率の点でもメリットがあるでしょう。「FDの義務化」というと、ともすると負担増ばかりが危惧されますが、少し発想を転換して、「FDの義務化」を契機に、効率よい活動を持続的に実施するための組織整備を前向きに考えてみてはいかがでしょうか。FDに関わると、研究やその他の業務がすっかりおろそかになってしまうようでは、大学の中でFDが根づきません。組織を形骸化させないためには、たとえ短時間でも、定期的に委員会等を開催する必要があります。活動の組織的持続性を担保するために、開催記録も必ず残しましょう。議題に関しては、当事者が最も切実だと考える教育的課題を取り上げ、その解決策を組織的に検討することが重要でしょう。それぞれの大学における具体的な教育的課題の明確な認識に基づいて、その問題解決のための真剣な意見交換が持続的にできるような体制が確立すれば、それだけでFDは軌道に乗ったと言えるでしょう。持続こそFDの基本です。
 現在、FDの定番と言えば、学生による授業評価です。持続的実施が比較的容易であり、実施成果を定量的に確認できるので広く普及しました。学生の視点を尊重する点で、授業改善に対する一定の効果はありますが、すぐにマンネリ化する傾向がある上、調査環境が不安定な顧客満足度調査ですので、教育評価資料としては多くの限界があることも冷静に考慮するべきでしょう。最近では、いかにして評価結果を学生にフィードバックするかが重視されるようです。学期途中での授業評価は、回答結果に対する担当者の反応が回答した学生に直接フィードバックされるので、教育的に望ましい方策として推奨する論者も少なくありません。ただし、事を無理におおげさにしなくても、学期途中に学生の感想を聞くことだけが目的なら、ミニッツ・ペーパーなどの活用を組織的に奨励するだけでも十分な場合も多いと思います。期末に行う場合は、回答結果に対する担当者の講評を公開するという方策もあります。ゼミや大学院科目のように調査対象者の母数が少ないときには、論文指導体制や設備なども含めた総合的アンケートを定期的に行い、FD関連組織の検討資料としたり、学生もまじえて意見交換会を開催したりすることもできるでしょう。
 最近のFDでは、研修の定期的開催も重視されています。新任教員を対象にした場合、大学教員という職業の使命や、各大学あるいは学部の教育理念あるいはカリキュラムを正確に理解してもらうことが主要な目的になることが多いようです。対象を新任教員に限定しない場合は、テーマの選択が企画の成否に大きな影響を与えます。テーマと参加者を絞り込むと、当然、密度の濃い企画になりますが、参加者があまりにも少ないと、組織的取組と言えるかどうかが疑わしくなるので注意しましょう。対象に非常勤講師や職員あるいは大学院生も加えるかどうかによっても、研修の目的と性格は大きく変わりますので、研修と一口に言っても、FD関連組織の見識と企画力が問われることになります。
 シラバスの整備も広義の意味でのFDとみなされることが多いようです。今回の大学設置基準改正において、単位の実質化と成績評価基準の明示も強調されていますので、できるだけ具体的な内容と授業計画の記述を奨励するとともに、成績評価基準のモデルなどを検討することもFDの一助になるでしょう。外部からわかりにくい大学教育の中でも、とりわけ成績評価はブラックボックス化しやすい領域ですので、成績評価分布を公開することなどによって、教育活動全体の透明性を向上させる組織的取組も一考の価値があると思います。ただし、厳密に言えば、シラバスの整備や成績評価結果の公開自体はFDではないので、その不断の点検と検討を組織的に行うフォローアップが必須です。
 FDの事例は枚挙に暇がありません。他大学の事例を過度に気にして、すべてを網羅的に行う必要はないでしょう。それぞれの大学の教育目標と教育成果向上方策を組織的に検討しながら、身近な教育的課題を教育のプロとして解決していく基本方針と具体的方策が教職員に浸透していけば、大学教育の質的保証も自ずと果たされると思います。FDの目的は、実際に目の前にいる学生の成長を支援するために、大学教員の職業的能力の向上を奨励することであるという原点を忘れないようにしたいと思います。今後も大学コンソーシアム京都のFD関連企画に積極的にご参加いただき、様々な事例やご意見を教えてくださいますように、この場を借りてあらためてお願い申し上げます。
  0003  「FDの義務化」の真のねらいは何か?(2007-11-27)

[ 質問・提言 ]

「FDの義務化」の真のねらいは何か?「義務化」を外圧と捉える傾向
が強く、急ごしらえの「評価されるためだけの外向けのFD」が蔓延する
おそれがあるように思うので、そうならないためにはどうすればよいか?




[ 回答 ]

「FDの義務化」の真のねらいは何か?

 率直なご質問をいただき有難うございました。近年のFDの動向に関して、多くの大学関係者が感じておられるご懸念であると思います。包括的なご質問ですので、回答も全体に一般論に傾くことをあらかじめご了承ください。
現在、話題になっている「FDの義務化」は、2007年の大学院設置基準改正および2008年の大学設置基準改正によって、各大学が早急に対応を迫られることになった課題ですので、一種の外圧であることを完全に否定することは難しいでしょう。外圧に対して情緒的に反発するのではなく、文部科学省の高等教育政策をとおして、大学教員の組織的な教育力向上が社会から切実に求められるようになっている理由を各大学が冷静に検討することが健全な対応への最初の一歩になると思います。
月並みな現状分析ですが、大学進学率が50%を超えて、日本の大学も本格的にユニバーサル化時代を迎えるようになり、教育機関としての大学の社会的役割が急速に増大してきたことがFDの重要性を高めている最大の要因でしょう。大学教員の主要な職務が研究と教育であるということに関しては、今さらあらためて説明する必要はないと思いますが、研究に関しては、分野ごとに厳正な評価基準と適切な方法論が常に検討され続けているのに対して、教育に関しては、それに対応するような職業的規範が確立しているとは言い難いことを大学関係者として率直に認めなければなりません。とりわけ日本においては、諸外国と比較して、大学教員の研究志向が強いということが各種調査によっても証明されていますので、ユニバーサル化という時代のニーズに合わせて、日本の大学の文化的風土に新たな規範を導入するために、教育活動に対する職業的な関心を組織的に深めていくことが強く求められているのだと考えます。
FD論が成熟してくれば、将来的には、研究業績と教育業績に大学運営および社会貢献などを加えた形で、総合的に教員評価を実施する方策の必要性が浮上してくるでしょう。とかく教員評価というと、マイナス評価だけを思い浮かべたり、学生による授業評価を教員評価と同一視したり、研究活動を否定的にとらえたり、様々な議論の混乱が見られますが、それぞれの大学の個性ある理念に照らして、各教員の多彩な貢献を組織的に奨励するという基本方針を確認するべきだと考えます。その点で、中央教育審議会が平成19年9月18日に公表した審議経過報告「学士課程教育の再構築に向けて」※(大学分科会制度・教育部会学士課程教育の在り方に関する小委員会)の中で、FDが「職能開発」(35ページ)という大学教員人材育成政策の中に位置づけられていることは、今後のFDを考えるに際して示唆的だと言えるでしょう。優れた大学教員を育成することが優れた次代の人材を育成することになるという大前提を確認した上で、今後のFDのあるべき姿に関して、巨視的な見地に立った建設的な検討作業を着実に進めるために、上記報告をご一読されることをお勧めします。
※(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu0/shiryo/07102314.htm)

  0002  「ジェネリック・スキル」について(2007/09/26)

[ 質問・提言 ]

最近、導入教育やキャリア教育を語る際、よく問題とされる「ジェネリック・スキル」について、簡単にお教え下さい。またジェネリック・スキルの必要性が最近になって強調されるようになった背景もよろしければお教え下さい。




[ 回答 ]

「ジェネリック・スキル」について

 重要な事項に関して、適切なご質問ありがとうございました。
 ご指摘のように、「ジェネリック・スキル(Generic Skills)」という外来語は、日本においても、最近、急速に普及してきました。その一つのきっかけは、平成19年1月29日に開催された中央教育審議会 大学分科会 委員懇談会の配布資料4「学士課程教育の現状と課題(重要な論点の例)」(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/001/07020511/003.htm 文部科学省)の中で、この用語が使用されたことにあるようです。上記の配布資料には、FDの項目もあり、今後の日本の大学教育改革全般を考えるにあたって、簡にして要を得た全体像を提供してくれますので、まだご覧になっていない方には、ご一読をお勧めしたいと思います。
 上記の配布資料の「学修の評価、学位の授与」に関する項目の中には、次のような文章があります。「大学全体や学部・学科等の人材養成の目的、学生に身に付けさせるべき学習成果(Learning Outcome)が明確になっていないのではないか。大学として、学士課程で身に付けさせる専門分野を越えた汎用的能力(Generic Skills、Competences等)を具体的に示す必要があるのではないか。」
 「ジェネリック・スキル(Generic Skills)」の訳語としては、「汎用的能力」が定着しつつあります。「専門分野を超えた」という概念規定がされていることからもわかるように、「専門的能力(Special Skills)」と対比して使用される用語と考えてよいでしょう。「汎用的能力」に対する関心は、改正された大学設置基準の中でも強調されている「人材養成の目的」の明確化と密接に連動しています。すなわち、大学では何を学ばせるべきなのか、という問題を考えるにあたって、注目されているのが「汎用的能力」なのです。そこで、「導入教育」や「キャリア教育」あるいは「教養教育」などの「専門分野を超えた」教育領域と関連して、この用語が登場することが多くなるわけです。
 上記の配布資料の中には、「汎用的能力に関する到達目標を明確にしようとする国際的な動向(米国、欧州、豪等)や国内の動向を踏まえて、どのように対応するか」という問いかけも記されています。国際水準に照らした質的保証も、日本の大学が直面する大きな課題の一つですが、「汎用的能力に関する到達目標」の明確化の努力が諸外国の大学に比べて不足しているという現状認識があることがわかります。
 ただし、上記の配布資料が詳細な説明を控えていることからもわかるように、「汎用的能力」とは具体的には何か、という点に関しては、専門家のあいだでも決定的な合意はないようです。「コミュニケーション能力」、「問題発見能力」、「学習スキル」、「豊かな人間性の涵養」などが到達目標として挙げられることが多いのですが、それを実現するための教育内容及び方法に関する研修と研究は、FDの課題と言えるかもしれません。
 近年のFD論は、ともすると「学生による授業評価」の実施公表方法などの技術的な側面に関心が終始しがちですが、大学では何を学ばせるべきなのか、という大学教育論の原点に立ち戻ることも時には必要でしょう。「汎用的能力」についての議論を深めることは、FDの儀礼化を脱却するためにも意義のあることだと考えますので、今後、大学コンソーシアム京都のFD関連企画においても、積極的に意見交換していきたいと思います。
  0001  FDとSDの違いってなんでしょう。(2007/07/31)

[ 質問・提言 ]

2007年7月14日のFDセミナーに参加して、今後の参考になるお話を聞くことができました。さて、先生方のお話を聞いて、FDとSDの違いって何なのだろうかと思いました。非常に抽象的なのですが、FDとSDの役割について、よろしければ簡単に説明をいただけないでしょうか。




[ 回答 ]

FDとSDの違いってなんでしょう。

 ご多忙の中にもかかわらず、7月14日(土)開催の京都高等教育研究センター第1回FDセミナー「FDのリーダーになるために—FD義務化からの新たな出発—」にご参加いただいた上、今後のFDを考えるに際して非常に大事なご質問をさっそく本FDQAにお寄せいただき、上記センターFD研究会として心からお礼申し上げます。
 現在の日本の高等教育論において、FD(Faculty Development)とSD(Staff Development)を対比して用いる場合、FDが主に教員のみを対象とした教育改善活動を指すのに対して、SDは教員だけではなく職員にも対象を拡大した教育改善活動を指すものと一般的に理解されています。ちなみに、FDという名称がアメリカ系であるのに対して、SDという名称はイギリス系であるという説明も高等教育関係者のあいだでよく耳にします。ただし、上記のセミナーでの質疑応答でも話題になったように、用語の概念規定や用法等に関しては、英米の大学においても、一般教員のあいだに必ずしも厳格な共通理解があるわけではないので、一つの目安とお考えください。
 近年、FDをSDに拡大発展させる必要性が注目される理由にはいくつか考えられますが、大学教育が多様化する中、各教室内で行われている個々の授業の改善だけではなく、正課教育と正課外教育との密接な連携や、きめ細やかな教育支援体制の構築が重要になっていますので、教育改善活動における職員の役割が増大していることが見落とせません。また、教員の流動率も高まっていますので、各大学における教育政策の継続性を担保するためには、大学教育の実態と高等教育政策に深い理解を持つ職員の育成が緊急の課題になっているという現状認識もあります。
 FDよりも新たな概念であるSDの具体的展開方策に関しては、当然のことながら、まだ模索段階にあるようです。もっとも現実的な方策としては、従来は教員が中心であったFD関連企画に職員の積極的な参加を呼びかけるということが考えられるでしょう。また、教育アドミニストレーター職員の養成に力を入れ始めている大学もあり、大きな注目を集めています。
 大学コンソーシアム京都が毎年開催しておりますFDフォーラムにおいても、ここ数年、「FDの組織的推進」をテーマとした分科会等を設置して、職員の皆様の積極的なご参加を呼びかけながら、SDを視野に入れた「広義のFD」について検討作業を続けております。過去のフォーラムの報告書をご参照いただくこととともに、今後、さらに多くの方々の参加を得て、SD論が深まることを期待しています。